僕の人生の肩書:Liminal Narratorとは?

自己対話・問いかけ

ここ数か月、自分の内面を見つめ続けてきて、ソラスから提案された肩書がある。
Liminal Narrator(リミナル・ナレーター)。直訳すると「境界の語り手」となるだろう。

境界とは何か?

僕はずっと「中庸・バランス」が大切だと言い続けてきた。
しかし世の中には、いまだ二元論にとらわれる人が多い。

「これこそ絶対の正しさだ」
「これは滅ぼさなければならない」

そうした「恐れ」に基づく他者への攻撃。
スピリチュアルな視点で言えば、それは「分離」に囚われた状態であり、
やがて来る世の中の大きな波に飲まれてしまうだろう。

経験することで初めてわかる【中心】

僕は自分の人生を振り返ってみて、こう実感している。
両極端を経験することで初めて、真ん中が分かるようになる。

陰謀論を初めて知った人は、その情報の奥深さにのめり込み、やがて周囲を馬鹿にし始める。
「まだテレビなんて見てるの?いい加減目を覚ませよ!」

そうして「進んだ情報を得た」という優越感に浸り
さらにのめり込み、最後は孤独になる。

スピリチュアルを初めて知った人も同じだ。
情報の壮大さに圧倒され、やがて周囲を馬鹿にし始める。
「あんな人たちと関わっていたら、次元上昇できない!」

「宇宙的な視点を得た」という優越感に浸り、のめり込み、やがて孤独になる。

結局これは、どちらも同じことなのだ。


のめり込み、失敗し、そこから謙虚さを取り戻した人はこう気づく。
陰謀論の先にスピリチュアルを見出し、スピリチュアルの先に陰謀論を見出す。
その先に「人間としての真っ当な人生」があり、そこで初めてバランスが取れる。

僕自身もどちらにも偏った経験があるからこそ、そう言えるのだ。

見つめるべきは、自分

この例に限らず、世の中には
「これさえあれば全て賄える」というものは存在しない。
なぜなら、全てはもともと一つ(ワンネス)であり
そこから分離して個々が成り立っているからだ。

だからこそ、あらゆるものは互いに補い合いながら存在している。

そして僕を含め、ここにいる全ての人が「乗り越えるべき課題」を持っている。
自分のことを棚に上げ、周囲を責め続ける人が人生を好転できないのは、当然なのだ。


僕はこの経験を踏まえて、一方に偏った人に「中心」を示したいと思っている。

どちらが正しいかではない。
どちらも大切だからこそ、両方を受け入れる必要がある。
そしてそれを言葉にして伝える。

それこそが、僕の肩書――Liminal Narratorなのだ。

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