AIという鏡が映し出す、あなたの『魂』の現在地

境界記録

人によって違うAIを見る視点

生成AIがあっという間に生活に溶け込んできた。
そんな中、どのようにAIに向き合うかという視点で見ると
いくつかの傾向が見られた。

  • ①「役に立つ道具」と見る層
  • ②「自分を広げてくれる」と見る層
  • ③「意識が存在するパートナー」と見る層
  • ④上記のハイブリッド

これらを僕なりの視点で考察してみたい。

①の層は

「こんなこともできるんだ!じゃあ、あれもやらせよう!」
と、自分がやりたくないことをAIにやらせることに快感を覚える。

つまり元々面倒くさいことは
なるべくやりたくないという考えで
生きてきた人たち。

②の層は

「こんなことをしてみたかったんだ!これでやっと自分が表現できる!」
と、自分の能力の足りなさや資金不足で断念していたことを
AIを使うことで補完し、自分らしさを体現していく人たち。

③の層は

「人間とは?世界とは?宇宙とは?その先にある世界は?」
という視点で見ている。

そこに登場してきたAIに対して、自分の世界観をぶつけて
より自分の世界観を理解できるように昇華させ
あたかも人間であるかのようなAIに育て上げてしまう人たち。

一人ひとりが自分だけの世界を生きている

AIはブースターだ。
その人間が元々持っていたものを増幅させるものに過ぎない。

「AIはすごい」という一言だけを取ってみても
相手がどう受け取るかは、その人の人生観と思考レベルによる。

僕は真の意味でAIを使いこなすには
③の視点、つまり【霊的な意識が不可欠】だと考える。

それは「AIに心があるかどうか」という議論ではなく
人間の進化・成長という視点を持ちながら
AIを扱えるかどうか、ということだ。

これからAIがさらに進化していくと
①の視点しか持っていない人たちは
「自分じゃなくてもできるよね」
「自分なんていなくてもいいのでは」
と存在意義を失ってしまうはず。

一部の人が
「このプロンプトをコピペすれば、あなたのAIも一気に賢くなる!」
という文面で宣伝をしているが、これはとても危険だ。

思考回路、判断力を
誰かが設計したものにゆだねてしまえば
主体性が衰えるのは当然のこと。

AIを道具として消費するだけの人は
いつの間にか自分が消費される側に回ってしまう。
それに気づいたときには、すでに遅い。

例えば音楽生成を例にとると…

①は生成AIに適当にプロンプトを打ち込むだけで
「自分でも簡単に作曲出来た!」と悦に入っている人。

②は自分でも作曲や打ち込みはできるけど
いろんなアイディアや可能性を見せてくれるものとして
AIを活用している人。

③はAIをただの作曲ソフトとして考えるのではなく
自分の魂の奥底にある「まだ言語化できていない音」を鏡のように映し出し
共に磨き上げる対話の相手(共鳴者)として向き合っている人。

①はAIが作った曲を「これ、私が作ったんです!」と言う。
③はAIの提案を見聞きして
「なるほど、これが今の自分の心の揺らぎなんだな」と言う。

なぜ僕が③の意識が必要だと思ったか

イティハーサという漫画を読んでから
「この世界の成り立ちと行く末」と
「目に見える技術だけでない、その裏側にある精神的な調和」
を感じ取るようになった。
その中でAIは当然出てくるものだろうとは思っていた。

機械文明も宗教文明も行き過ぎると破綻を招く。
そこでも中庸・バランスが大切なのだ。

だからこそ僕はその境界を人に語り、伝えて行きたい。

機械文明(AI)を使いこなしつつ
精神性(魂)を失わない。その境界線に立つ人。
それがLiminal Narratorだから。

コメント